なにかを新しく始めようとしたとき、ちゃんとしなきゃいけないという思いが強ければ強いほど、ちゃんとできなかったときにどうしようという恐れから、フリーズしてなにも行動ができなくなるという悪循環、負のスパイラルに陥るような場合があります。
そもそも自分の得意じゃないことや、不慣れなこと、やったことのないことや不向きなことを、いきなりからちゃんとやろうということ自体、無理のある話です。
何度もトライして、また失敗してを繰り返していく中で、人は何かをつかんだり、体得したりしていくものだと思うし、そうやって克服しながら小さな成功体験を積み重ねていくことで、人は自信を深めながら成長していくものですよね。
それって小さな子が、初めは親の手助けがなければ一人でごはんも食べられない、トイレにも行けないのと同じで、親と一緒に練習をしながら、やがて自分で経験し、失敗しながらいろんなことができるようになっていくのと同じことですよね。
そもそもちゃんとしなければの“ちゃんと”の基準をどこに置いていますか?
たとえば初めから、その道の成功者や実績のある人と較べて、その人たちと同じかそれ以上のことができなければいけないなんて思っているとしたら、たとえばスポーツもろくにやったことがない人が、いきなりオリンピックで金メダルを目指すと言っているようなもので、とても現実的な話ではありません。
さっきも言いましたが、身の丈でいいのです。
それで一歩づつ、着実に成果を積み上げていくことがあなたの自信を育み、ゆたかな心と成長、そして結果をもたらします。
「がんばらなくてもいい生き方」という言葉が自己啓発の世界などで流行ったりして久しいですが、僕はがんばらなくていいとは、決して努力もなにもしなくていいということではなく、こういうことを意味しているのではないかと理解しています。
ちょっと違う視点で考えてみてください。
- そもそもちゃんとしなければあなたの中でなにが起こりますか?
- 誰のためにちゃんとしないといけないのでしょうか?
- だれがあなたに「ちゃんとしなさい」といつも言っていたのでしょう?
- あなたにあなたが本当は望んでいないことや、能力以上の結果を求める人は誰なのでしょうか?
- そしてそれをあなたができないことで勝手に怒ったり、落胆したりしている人がいましたか?
あなたのための、あなたの人生です。
誰かのために、誰かの期待に応えるために、そうすることで自分の価値をはかるような生き方ってナンセンスですよね。
あなたにとってその誰かがいったい誰なのか?
そうまでして認められたい、期待に応えなければならないという思いの根底にあるものは?
そもそもあなたの行動の動機が、無理にハードルを高く設定する生き方が、その誰かへの恐れからきているとしたら…
そのあたりにあなたの行動を止めたり、思うように生きられない原因がかくれているかもしれません。