人間不信だと嘆く人がいます。

裏切られたと悲しみ、ゆるせないと憤る人がいます。

厳しいように聞こえるかもしれませんが、そもそも他人に期待するから、委ねすぎるからそうなる。

協調性という名のもとの他人軸。

そもそもこの言葉の意味をはき違えている人は少なくありません。

協調性って自らの意思で、目的やこころざしを同じくするパートナーや仲間と協力しあうことで、決して主体性を手放せということではないと思うのです。

結局どこか自分だけが悪者になるのがいやだったり、いい人でいたいがために“長いものに巻かれる”こととはまったく一線を画すものです。

だから僕はこう思うのです。

人間不信というのは、自分を欺いていることへの代償であると。

そのスパイラルの中から抜け出したければ一日も早く、自分は誰の人生を生きているのかと自らに問いかけてみること。

そしてもし、違和感を感じたのであれば一刻も早く、他人軸の生き方から自分軸の生き方へと人生をシフトさせること。

それがもっとも近道であり、最良の選択であると思うのです。