人は感情をもつ生き物です。
怒りもまた、うれしいとか悲しいと同じで感情のひとつですから、怒りを感じることが決して悪いことではありません。
生身の人間ですからね、ときには怒ることだってあるのは当然です。
しかし、常にイライラして、ちょっとしたことでも感情をあらわにして怒りをぶちまけるような人は、どこかで自分は価値のない人間だと感じていることが少なくありません。
ですからそういう人の多くはほんの些細なことでも、勝手に人格そのものを否定されたような気がして「ああ、自分はやっぱりダメな人間なんだ」とひどく落ち込んだり傷ついたりしてしまいがちです。
“ほんの些細なことで傷つく人”。
そう、実はとても弱い人間であるということが云えますね。
弱い人間だと思われたくない、自分の弱さを見透かされたくない、弱い人間だと思われるのがとても怖い。
ゆえに怒りっぽい人は、自分が傷ついていることや根底にある弱さを覆い隠すためにいつも怒りで相手を威嚇し、自分の弱さを悟られぬよう一生懸命防御しているということが云えます。
そういう人たちにとって弱さを知られることは、このうえない恐怖だということ。
弱くてはいけない、弱い人間は価値がない、弱いと傷つけられる、攻撃されるなどの恐怖に四六時中支配されているということ。
怒りによって周囲の人たちを支配をしているつもりが、実は己の弱さに支配され、常に恐怖に怯えているというのが現実です。
自分の弱さを認めることが自分を苦しみから解放し、自由な心と自分自身への信頼を取り戻し、本当の強さとはなにかを知る大きな一歩であるとしたら…
「弱さを認めてはいけない」というその思い込み、刷り込みがいったいいつどこで、なぜ心に刻まれてしまったのか。
自分のなかにある恐れの正体に真っ向から向き合うことが、すべてをひも解く鍵だと云えるでしょう。